2011年2月28日(月)
愛車LexusRXの走行距離が10,000kmを記録した。昨年の10月16日納車だから4ヶ月半で達成である。このままのペースで走り続けると1年間で25,000km、4年で100,000kmというハイペースになりそうだ。調子は至って快調、これまでの平均燃費は11.5km/L、流石ハイブリッドである。
2011年2月24日(木)
上海万博・日本産業館のピンズの全容が明らかになった。協賛企業20社・自治体2団体、それにメインロゴと嘉門達夫用の[声援団]の合計24種だ。残念ながらこのセット、当館の所有ではない.。この24種の中には一般には決して出回らないセットのみしかないものや、嘉門達夫のために作られた「声援団」などが含まれており、基本的に単品でコツコツと収集するのは困難であることが判明した。日本産業館も罪なことをしてくれたものだ。
2011年2月22日(火)
世界で2箇所目となるScotty Cameronのパターフィッティングスタジオが来月5日に浜松のキャメロン・ミュージアムにオープンする。当館とは(勝手に)姉妹ミュージアム提携している関係で、館長もそのオープニング・セレモニーに出席予定だ。セレモニーに出席する際のドレスコードが定められている。品ある紺のブレザーに、胸にはクレストバッジ(エンブレム)、襟元にはピンズの着用が必須だ。
右のピンは2003年のクラブ・キャメロンのピン。やはり気品あふれるクラブ組織にはピンは必須アイテムなのだ。
2011年2月19日(土) ピンコレ長野報告F・完
デジタル完全移行まで半年を切り、最近人気急上昇の「地デジカ」であるが、当初安全ピンタイプとバタフライキャッチの2種がリリースされていた。ところがバタフライキャッチは外れやすい苦情が多く、急遽タイタック・ヴァージョンが出された。キャッチ以外基本的に同じものではあるが、タイタックヴァージョンは黄色の色彩がやや薄く、バタフライは山吹色っぽいのだ。まあどうでもいいことであるが・・・。

スペシャルオリンピックスのコカコーラピンは、副館長がpins_master氏から頂いてきたもの。オリンピックといえば五輪=5色ということから推察すればこのピンズセットもう1色黒があるのだろうか?どなたか教えて!!(4色だそうです)
上記右のピンはデフリンピック日本選手団のピンでU子の旦那さんとのトレードでGET。ほとんどの方がこの大会のことを知らなかったのではないだろうか。大会のことを知ったのは、「U子の旦那」こと「ねこぴん」さんのお陰。でも大変残念なことに今月16日から開催されるはずだった冬季デフリンピック・ハイタトラス大会は、財政事情からなのか直前で中止となってしまった。通常の国際大会ではありえないことだけに、障害者スポーツ大会運営の現状が浮き彫りにされたニュースだった。悲しいことである。長野ピンコレではこの他にも沢山のピンをGETした、機会があればまた紹介しようと思う。トレードいただいた皆さん、会の運営にご尽力いただいた長野の皆様ありがとうございました。又来年もよろしく!

ビッグコミック・オリジナルは明日が日曜日ということで1日早いきょうが発売日となった。全英オープンを前に検査を受けた沖田の足は、『過度な負担をかけたため骨膜の状態が限界に達し、白血球の数値もかなり高く、このまま無理をすれば取り返しのつかない事態になる恐れがある』との診断が下された。そして沖田は全英オープンを欠場することになった。また暫くゴルフコミックはお休みとなる模様だ。
2011年2月18日(金) ピンコレ長野報告E
いつも貴重な時計ピンを提供してくれるmisterwakuwakuさんからのピン!
左はフランスの時計メーカー「ペキネ」のゴルフ大会協賛のピンズ、ピンのロールスロイスといわれている仏アルテュス・ベルトラン社製の逸品だ。右はお馴染みG-SHOCK(Nano-Universeとのコラボ)のピン。misterwakuwaku氏は時計ピンだけでなくフレンチピンにおいても日本を代表するコレクターである。今回そのコレクションのほんの一部を見せていただいた。(ポインターを左の画像に乗せると現われます。)

一方こちらは「レクサス5周年記念ピンバッジ」。昨年5周年を迎えたレクサスに相応しく5粒のクリスタライズ(スワロスキー社製クリスタル)をデザインした高級仕様。misterwakuwaku氏から副館長経由で入手した逸品である。
2011年2月17日(木) ピンコレ長野報告D
左は御茶ノ水にある「山の上ホテル50周年にあたる2003年にリリースされたピン。ryuryuryu氏とのトレードでGET。一方右のピンは1988年ソウル五輪公式ホテルのひとつである、Intercontinental Hotel のピン。ピン太郎氏のピンバックで見つけトレード。時空をこえタイムスリップして、懐かしのピンが入手できるのがピンコレ長野なのだ。
2011年2月16日(水) ピンコレ長野報告C
長野電鉄は長野駅と湯田中駅を結ぶ長野線と、須坂駅⇔屋代駅を結ぶ屋代線の2路線を持つ中規模私鉄である。特筆すべきは実に数多くのピンズリリースする素晴らしい鉄道会社ということだ。当館でもこれまでにいくつかのピンを紹介してきたが、今回は当館のファンである長野市のコレクターMさんとのトレードでGETしたのがこの10ピン。いわゆるご当地ピンズのガチャポンであるが、「10個勢ぞろいです」といわれると妙に納得し、揃えるのにどれだけ100円玉を使ったのかと変な心配をしてしまうのである。Mさんどうも有難う。
一方こちらは長野電鉄80周年記念のセット。2000年のリリースであるが10年以上経過したいまでもその輝きは失われていない。おけい姉さん、いつもお気遣いいただき有難うございます。
最近では「Japan Endless Discovery」に押されやや影を潜めているお馴染みの「YOKOSO!JAPAN」、通常は右側のピンだが、当初は左のピンだった。どこが違うか、よくご覧あれ!貴重なエラーピンは東京ピントレのメンバーakkyさんとの1年越しのトレードだ。
ヤフオクにも登場していない「Japan Endless Discovery鎌倉ヴァージョン」。どこから探してくるのか、その真摯なピン道を貫いている刈谷のNさんには脱帽。キャッチはタイタックの高級仕様で鎌倉大仏・江ノ島・江ノ電の3点盛りのこのピン、ナイスなピンである。全国の観光地でもこのピンに続いてほしいものだ。
2011年2月15日(火) ピンコレ長野報告B
長野で上海万博の貴重ピンが入手できるのは、長野には全国から有数なコレクターが集まるからだ。今回も愛知の有力メンバーが参加したおかげで上海万博日本産業館の『KOKUYO』と『TEIJIN』の2個をGETした。シロたん有難う!
これでこのシリーズは5個となったが、全部で25種のコンプリには程遠い。(左の画像にポインターを乗せると現われるのが『日本産業館の基本9セット:所有者シロたん)

そしてコンプリを目指すリニモ・ウォーキング・シリーズでは第6回の2個と第9回の3個をGETした。以前にも書いたが一度も歩かなくて申し訳ない気分であるが、残すところあと7回と10回となった。Kご夫妻、モリテンさん有難う!
話は前後するが、12日の前夜祭の最中pins_parkさんから『どうぞ!』と手渡された封筒の中に入っていたのがこのピンズ。これが噂のあの『オリジナルピン』しかもサプライズの金・銀・銅の長野ならではの3バージョンだ。コレクターとしての思いをタップリこめたこだわりのピンに『さすが、pins_parkさん!』と感心した。
2011年2月14日(月) ピンコレ長野報告A
昨年は日曜日で不作だったが、ことしは月曜日。おかげさまで美味なるチョコのご相伴に与かることが出来ました。
同居人を筆頭に世の優しい女性の皆様本当に有難うございました。
さてピンバッジコレクションNAGANOでのピン果のご紹介。こんな可愛いピンがことしの公式ピンである。長野はやはりオリンピックの町、長野五輪からもう13年も経ったが来る度に新しい発見があり、新たなピンとの出会いがある。だから年に一度の長野巡礼の旅は欠かせないのだ。早速今回GETしたなかでいくつか紹介しよう。
前夜祭のジャンケン大会で副館長がGETしたのが手前の長野五輪「文化プログラム・ピン(金)」である。大変貴重なピンで500個ほどしか作られなかったという。金をGETしたら『銀はお持ちですか?』と尋ねられ、ないと伝えると『余分に持っていますので明日差し上げます』とKさん。長野のコレクターは皆優しい方ばかりだ。
いつも大変お世話になっているY事務局長からは、館長が時計ピンコレクターであることを知ってか、こんな貴重な時計ピンを頂いた。直径40mmのこのピン、中心の時計部分は本物の時計である。以前(2009年12月4日DIARY参照)中心部分のピンを頂いたが、今回は本当の時計ピンである。Y先輩いつも気にかけていただき有難うございます。
お馴染みスノーレッツの各君。なんと飛行機に乗っての登場だ。乗り物ピン好きの館長にとチョコレートの代わりにピンのプレゼントは、たけちゃんからだ。
2011年2月13日(日) ピンコレ長野報告@
「ピンバッジコレクションNAGANO」
無事終了し、多くのピン果を背負い4時間半の長旅を終えて帰宅しました。長野の皆さん、東京ピントレの皆さん、そして愛地球博ピントレの皆さん、有難うございました。おかげさまで充実した2日間を過ごすことが出来ました。成果のご報告は明日からボチボチと・・・。
2011年2月11日(金)
さていよいよ明日から長野巡礼の旅。
TAXMAN'S MUSEUMの特製ピンの準備は出来たが、肝心のピンの準備がまだだ。いつものようにぶっつけ本番で臨むしかないだろう。久々にピン友に会えるのが大変楽しみである。
2011年2月10日(木)
もうひとつCP+(シーピープラス)で入手したピンがこちら。日本カメラ博物館を運営するJCII(Japan Camera Inductry Institude)財団法人日本カメラ財団のピンだ。このピンJCIIの文字色違いで5ヴァージョンあったが迷わずブルーの1色のみ450円で購入した。描かれているカメラはバルナック・ライカのVfあたりだろうか。
世界でも先端を行く日本のカメラのショーなのに会場の熱気はいまいちの様な気がした。デジカメの技術も本質的なものはもう行き着くところまで来てしまったのだろうか。もっとも初日の午前中という特別招待者とプレス関係者のみの時間帯だったからなのか、混雑もなくゆっくり見ることが出来た。出展社99社と昨年の77社を大きく上回ったが、あのライカのブースはなかった。
2011年2月9日(水)
パシフィコ横浜で今日から開催の、カメラと写真映像の情報発信イベントであるCP+(シーピープラス)に行ってきた。スタッフオンリーのピンを入手したら目的の半分は達成したようなもの。最新のカメラ情報をガッチリ掴んで早々に中華街に繰り出し、中華料理とビールを楽しんできた。
2011年2月7日(月)
TOYOTAが昨年展開した「サムライX」広告時につくられたのがこのピンズ。ディーラー関係者のみに配られたもので一般に流通することはなかった逸品。TOYOTAマークXのテレビCM「佐藤部長」シリーズ(佐藤浩市主演)全12話は結構いいドラマであった。車のCMらしくないところが好感を持て楽しく見れて、結果的に主人公が乗る車が素敵に思えるところがさすがTOYOTAだ。
2011年2月6日(日)

ついでにREVOLVERのCDも紹介してしまおう。ビートルズのアルバムが初めてCD化されたのは1987年。はじめPleasePlease Meから4枚が発売され、続いてHELP、Ruber Soul、Revolverの3枚が発売された。英国のレコードショップHMVは、第1弾の4枚をブラックのボックスセットに、そしてRevolverを含む第2弾をレッドのボックスセットにして発売した。まだ日本にはHMVがない時代でこのボックスセットは大人気となった。
こちらは,、The Revolver Sessons と題しロバート・フリーマンの48ページの写真集がついているUFO社のボックスセット。
また、REVOLVERの型の木製ケースに収めたセットもリリースされた。まあこのセットに至っては邪道だろうが、当時は若かったせいもあって何でもかんでも集めたくて仕方なかった時代であった。
さらにこちらのボックスセットはオリジナルアルバムのリリースが完了した際に、
COMPACT DISC COLLECTIONと称してお馴染みのHMVが発売したもの。右上のシールには英国での価格215ポンドが記されている。日本では7万円位したような記憶があるが定かではない。当然この中にはREVOLVERのCDも含まれている。
そして昨年リリースされたリマスターCDボックスと、初回限定生産と謳ったもののわずか3ヵ月後にはアンコール発売とふざけた販売を行なった悪名高きMONO BOX(中身は素晴らしいの一語に尽きるが・・)それに真ん中は1987年発売の日本盤初版。
ああこれでREVOLVERのCDはあわせて7枚となってしまった。
HMV、UFO、木製ボックスのCDを比較してみると同じ頃の発売なのに違いが見られる。
HMVはMade in UK、
UFOはMade in Holand、
木製BOXはMade in USA だった。
マニアはこんな細かいところをチェックするいやな性格の持ち主なのである。

これにてREVOLVERはおしまい。
2011年2月5日(土)
【round.492】永平寺で再会した二人は涙で語り合りお互いに最高の友人であることを確認した。そしてゴルフとの決別を決めた笠崎はそれを沖田に告げお互いの思いを胸に秘め別れた。ヒューマン・ドキュメントドラマの「風の大地」492話だった。
2011年2月4日(金)
ビートルズ・オリジナルアルバムシリーズ第2弾として『REVOLVER』を紹介しよう。ビートルズ7番目のアルバムとして1966年に発売、ことしで丁度45周年となるのだが、その音楽はいまだに色褪せることはない。館長が一番好きなアルバムで、A面一曲目のTAXMANはMUSEUMの名にもなっていることは当館のFANなら周知の事実である。このアルバムからグループの主導権がジョンからポールに移り、ビートルズのライブ活動は終焉を迎えるのである。




REVOLVER
 1.日本盤ファーストプレス盤(1966年)
 2.日本盤サードプレス盤(1969年)
 3.日本盤30周年記念盤(1992年)
 4.日本盤MONO盤第1回(1982年)
 5.日本盤MONO盤第2回(1986年)
 6.日本盤最終プレス盤(2004年)
 7.英国盤オリジナルMONO盤
 8.米国アップル盤
 9.ロシア盤(Sgt.Peppersとの2枚組)10.日本盤/Box Set(1979年)
11.Mobile FidelityBox盤(1982年)
12.Mobile Fidelity盤(1985年)

当館所蔵のLPは以上の12枚、クラウス・ヴアマンが描いたジャケットはレーベル表示以外は基本的にどれも同じであるが、ロシア盤だけがタイトルがロシア語、イラスト以外の写真が異なったものが使われている。日本盤は世界でも稀な存在で帯が付属しておりその販売時期によって異なる帯が付いている。日本盤ファーストプレスの帯は残念ながら紛失してしまった。

CDに関しては6セットほど当館の館蔵品として収納されているが、機会があったらご紹介しようと思う。

左はREVOLVERのジャケットの裏面、上が米国キャピトル盤で下が英国盤。米国盤は曲目数11曲、英国盤は14曲なのである。米国盤にはI'm Only Sleeping Doctor Robert, And Your Bird Can Sing の3曲は収められていない。82年のMobile FidelityBox盤以降は英国盤と同じ曲数になった。REVOLVERまではキャピトルは独自のアルバムを製作していたがこのあとのSgt.Peppersからは英国盤に統一された。商魂たくましい日本の東芝および東芝EMIは日本独自盤、英国盤それに米国盤とすべてをリリースしたのである。

かつて米国キャピトルはアルバムの曲数基本14曲のビートルズのアルバムを間引いて独自の編集盤を製作し売り出していた。右の『イエスタディ・アンド・トゥディ』にはREVOLVERから間引いた3曲とRUBBER SOUL、HELP各アルバムの収録曲の一部などを加えた11曲が収められている。『自分たちのアルバムを勝手に切り刻んだキャピトルに怒りその姿勢に抗議したい』ということでこのブッチャー・カバーと称されるアルバムジャケットが誕生したといわれていたが、実際はそうではないらしい。このグロテスクなジャケットには苦情が殺到し、発売5日前に回収される騒ぎになった。間に合わず一部市場に流失したものは異常な高値をつけ今でも取引されている。ビートルズならではのエピソードである。
2011年2月2日(水)
ピンバッジコレクションNAGANO開催まであと10日と迫った。『記念のピンはないのか?』の声にお応えして本日『ピンバッジコレクションNAGANO 記念TAXMAN'S MUSEUM PIN』の発表となった。このピン、このシリーズでははじめてのブラック・ニッケルを使い長野に相応しい純白のフェイスとなっている。今回はクイズも抽選もなし、ピンコレクションNAGANO限定で前夜祭から参加すればこのピンを手に入れる資格が得られるということだ。