2012年2月29日(水) 
先週の日曜日に開催された東京マラソン。期待の市民ランナー川内優輝くんは給水失敗などの影響か14位という不本意な成績に終わり、ロンドン五輪切符を確実にすることは残念ながらできなかった。しかしまだその可能性は残っている。24歳という若さ、実業団所属という恵まれた練習環境の中にいないこと、それに福岡国際や昨年の東京マラソンの成績を考えれば、いま日本人マラソンランナーのなかで最も未知なる可能性を持った選手ではないかと思われる。選考委員の皆さんの慧眼を期待するものだ。
2012年2月26日(日) 
箱の中身はというと・・・
TAXMANネーム入りオリジナル・ソックスだ。実はこれ、TAXMAN家の同居人からのバレンタイン・デイのプレゼント。さてこれに対するホワイト・デイのお返しは、何にすべきか大いに悩むところである。
2012年2月25日(土) 

 ピンを整理していたら気が付いたことがあった。左の3つのピンはTISSOTのピンであるが、パッと見は同じだがそれぞれ異なるデザインである。一番(左)のピンが標準とすれば(中)はスイス国旗の部分がSWISS MADEとなっている。当館のTISSOTでは(右)のピンがない。館長が(左)のピンのサイズ違いと勘違いして見落としていただけであることが、ピンコレ長野でのmisterwakuwaku氏の一言で判明したのだった。まあ興味ない方にとってはどうでもいいことではあるが・・・

2012年2月22日(水) 
多彩な趣味人でありピンズ・コレクターでもある“おやじの家”の管理人栄太郎氏がこのほど「四国遍路記Ⅱ.Ⅲ」を出版し、当館に届いた。氏は2003年から四国のお遍路さんを続けており、著書も2冊目となる。286ページにわたり書かれたお遍路日記は「私も行ってみようかな」という気にさせる読み物である。読んでみたい方はこちらまで
こちらのピンは栄太郎さんからのプレゼントピン。お遍路さんの四国八十八箇所霊場めぐりにはいつでも空海(弘法大師)がついて一緒に歩いてくれるのだ。弘仁7年(816年)空海(弘法大師)が高野山を開創して、4年後の2016年には記念すべき1200年を迎える。その記念大法会のマスコットキャラクターが「こうやくん」である。
2012年2月21日(火) 
スコッティ・キャメロン・クラブ(USA)の2012年ヴァージョンのピンズとステッカーが届いた。今年でなんと10周年を迎えたということをこのピンズで知った。ということは2002年以前のピンズは存在せず、もう既にコンプリートしていたということになる訳だ。ことしのデザインはクレスト型、毎年斬新なデザインで楽しませてくれるが今回もGOOD!だ。日本のキャメロンミュージアム&ギャラリーでは会員証としてのピンズはあるが、毎年のピンズのリリースはないのが残念だ。
2012年2月20日(月) nagano report⑦ final
長野では長野にちなんだピンを毎年考えているが、今年はこのピンズ・セットで決定。長野からソルトレイクへのブリッジ・パズル・ピンズセットだ。組み合わせるとリンゴの形が現れる、素敵なピンズセットだ。このほかにも巡礼の旅に相応しい数多くのピンに出会え、また出迎えることができた。ことしもいい修練の旅であった。これにてnagano report はおしまい。
さて本日、ビッグコミック・オリジナルの発売日。
2012年2月19日(日) nagano report⑥
下のかわいいキャラクターは、青森県の目時駅と青森駅を結ぶ第3セクターの青い森鉄道モーリーくんだ。左の青バージョンは通販でも買えるが、右のピンクは車掌の乗車している車両内でのみ購入できるという貴重な逸品だ。
伊豆半島の伊東と下田を結ぶ伊豆急行が1961年12月に開業して、50周年を迎えた。上左の車両は50年前に製造された100系、すでに現役を引退して事業用車両となっていたが、50周年を記念して整備しこのほど復活運転を果たした。それを記念してのピンである。
一方、上右の車両は、惜しまれながらオリジナルカラー運転を終了した2100系3次車が、伊豆急伝統色であるハワイアンブルー塗装に身を包み、「リゾート ドルフィン号」としてリニューアルデビュー、その記念のピンである。最近は足を使わない鉄道マニアに堕落した館長であるが、ピンコレ長野には、コアな鉄道マニアがいて当館のコレクションの手助けをしてくれる。嬉しい限りである。
2012年2月17日(金) nagano report⑤ 
長野巡礼で大きな収穫の一つがこの『ドラえもん局舎見学記念ピン』。年号が書かれていないので新社屋完成の2003年から2006年あたりで配布されたものらしい。2007年以降は年号が確認されている、また2006年物もあるらしいとの情報もある。ドラえもんピンについては、昨年の全英・全米オープンゴルフのピンのリリースが中止されたため今後のテレビ朝日の動向が注目されている。いつもなら見学記念2012年ヴァージョンが出てくる時期なのだが未だ出現せず、オリンピックイヤーなのでオリンピック・ドラえもんピンが心配だ。
 
↑いまや日本企業で唯一のオリンピック・パートナーとなったPanasonicの5ピンセットが揃った。
←米国のメディアNBCのピン(左)と、
ロンドン五輪公式ピンのひとつ。これから大会開催に向けて続々とピンが出現してくるだろう。日本のメディアさん、経費削減とかでピンのリリースの中止だけは決してしないようにお願いネ!
2012年2月16日(木) nagano report④
時計ピン・コレクターとしては一番嬉しいのは、やっぱり時計ピン。今回も素敵な時計ピンをGETできた。右はスイスの名門ティソTISSOTのピン。
そしてこちらはピンズのロールス・ロイスといわれるピンズメーカー、アリュテュス・ベルトラン社製のピン。左のピンには
Itineris と記されているが、仏の旅行会社のノベルティピンなのか詳細は不明。
右はEUROPEAN PASSPORT ENGLISH PROJECT と記されているが文字盤のBPのマークからBritish Petroleum社、現在のビーピー社のノベルティピンではないかと思われる。いずれもとても綺麗な色使いのピンである。
右のカメラの名前は何というかご存知ですか?判った方は館長と一時間くらい楽にカメラ談義ができるのではないかと喜んでしまう。そうバルナックライカの最終モデルLeicaⅢG(1957年発売)である。かつて「ライカ1台の値段で家が1軒建つ」と言われた時代があったが、今はそんなに高価ではない。しかし最新機種のライカM9(デジタルカメラ)のボディだけで777,000円、一番安い50mmF2のレンズを付けると100万円を軽く超えてしまうのでやはり大変高価なカメラであることに変わりない。長野でライカのピン(正確にいうとピンではなくて留め具がスクリューねじ式)に出会えるとは思わなかった。 
2012年2月15日(水) 開館七周年記念日
               nagano report③
 
 

ピンコレ長野では愛地球博のピンと愛知関連のピンが集まる。今回も愛知から4人の信者が集まった。(もっとも一人は前日のミサの途中で退席しその後名古屋に帰ってしまったが・・・。)今回もリニモウォーク・ピン9個の収穫だ。これで第11回はコンプリ、第10回はあと2番と4番、第12回はあと2番の計3個で13回までコンプリートする。しかし今週土曜日の18日から第14回目「リニモ早春ウォーキング」がはじまるのだ。今回で累計参加者が10万人を突破する見込みらしい。愛知の風物詩としてすっかり定着したリニモウォーキングだが、ある信者は「ピンは欲しいが、休日が潰れてしまうので、もうそろそろいいかな・・・」正直な感想か! 


さて上の4ピンも愛知のピン。pins-masterさんの「私の好きなピンズ」 でも紹介された「愛環沿線おでかけウォーキング」のピンだ。提供いただいた名古屋のKさんによると一日2コース(計11~12キロ)を歩くと1個のピンがご褒美に頂けるが4個そろえるには確実に4日を費やすので、汗と涙の苦労に満ちた非常に貴重なピンだそう。まさにその通りだと思う。その影響か愛知県の健康指数は毎年ぐんぐん上がって、そのうち日本一の「長寿県」になるかもしれない。

2012年2月14日(火)  nagano report②
CP+での戦利品iPhoneケース・カメラの使い方例を紹介しよう。昨日の魚眼レンズでの写真は実はこのカメラで撮影したものだ。iPhoneケース・カメラの左下にコンバージョンレンズを装着すると撮影できるのだ。このレンズ、プラスチックのおもちゃレンズではない。マルチコーティングされたガラスレンズでアルミ製ボディの本格的なつくり。これで遜色ない画角180度の世界が楽しめるとすれば安い買い物だ。カメラ・フロントの左下がコンバージョンレンズ。

ことしのピンズ教のお題目は「2012 LONDON がんばろうJAPAN 2011 震災復興」、上記のピンズが公式ピンズだ。分かりやすくシンプルな実にGoodなデザインだ。
そして上右がはやくも現れた2020年オリンピックの立候補ピンズだ。いずれ2016年のときのように街頭でばら撒かれるようになるだろう。
右のピンは1998年長野パラリンピックの時計ピンズ。Y事務局長からの頂き物で昨年の頂き物とは中の時計のデザインが違う。時計部分は本物の時計である。
ところで7周年記念ピンズ・プレゼント企画の正答がまだ発表していなかった。ピンズ教集会で『時計はシロートなので分からなかった』との声を幾人かから聞いた。正答は昨年の7月のDIARYを見ていただければ実に簡単なのだ。当館のクイズはこんなもので、基本的にはHP内に答えが隠されているのだ。プレゼントの当選者には本日発送したので到着まで今しばらくお待ちいただきたい。また正解にも関わらず抽選に漏れた方、大変申し訳なく、これに懲りずまたのご応募お待ちしています。尚このピンズ、すでに在庫はないので「ホピ~~!」と言われても、ご要望にはお応えできないのであしからず。
「正答」・・・パティック・フィリップ社(とティファニー社とのダブルネーム)のアクアノート(5167A)、尚不正解者はいなかった。
2012年2月13日(月) nagano report①
年に一度の長野巡礼の旅は無事終了した。昨年と同じ会場で開かれたピンズ教の大集会には、地元長野はもとより、東京、大阪、名古屋、静岡など全国各地から多くの信者が集まった。午前10時の開始から午後5時まで昼食も忘れピンズ教の教えを唱える皆の姿は真剣そのものだ。左の写真は、ピンズ教幹部役員による富籤の当選発表風景。向かって右は愛地球博教祖様、左はハレンチ・ピンいや、フレンチ・ピン教祖様。

本祭に先立ち前日午後6時から開催されたミサ集会にも熱心な信者30人が集まり、例年のごとく大の大人が手を掲げ、「グー」とか「チョキ」とかあるいは「パー」とか叫びながらの厳かな儀式を中心におおいに盛り上がったのだ。
今回の巡礼の旅で得たピンズは、ご覧のとおり。愛・地球博教祖さまからの温かいお下がりを含め60数個のピン果を賜ることができた。詳しいことは、明日以降順に紹介しよう。
今回のピンズ教大集会の運営にご苦労された地元長野の信者幹部の皆様に感謝したい。 
2012年2月12日(日) 
 
2012年2月9日(木) 
毎年この時期恒例となったCP+に行ってきた。大会のピンは昨年と全く同じ物だった。やはり年号を入れるなり、回数を入れるなりしてこそピンの使命が果たせるのに残念だ。今年のオリンパスのブースでのノベルティ・プレゼントはOM-1の根付、これがなんとレンズ交換できるという優れものだ。会場にオリンパスのカメラを持っていくともらえるヨ!
 
そんなことより今年の目玉は、富士フィルムのXpro1・NikonのD4/D800・オリンパスのOM-Dあたりか。いずれのコーナーも長蛇の列で人気の凄さを物語っていた。
かつて館長はオリンパスのファンだった。学生時代からの付き合いでPEN・OM-1・OM-2・OM-4、それにはじめて購入したデジカメもオリンパスだった。しかし3年前EP-1を購入してからその企業姿勢に失望し、距離をおいていた。企業姿勢とは話題の不祥事とは関係ない。ところが今日新商品のOM-Dを見て、その昔はじめてOM-1を手にした時のワクワクした思いが甦った。ちょっとその気になりそうで・・・ぐっと我慢が必要だ。
それよりも会場で見つけた素敵なカメラを紹介しよう。厚さわずか1cmのノスタルジックなレンジファインダー・カメラのようなこの代物。なんとこれ、iPhoneカバーなのだ。しかもこれを装着すると連動したカメラのシャッターボタンで写真が撮れる優れもの、ストラップを付けて首から掛ければ、とてもオシャレなカメラだ。
このiPhoneケースはGizmon社の製品。会場で首にぶら下げていたら皆から注目を浴びいい気分の館長だった。
2012年2月4日(土) 
本日、ビッグコミック・オリジナルの発売日。
来週土曜日、巡礼に訪れる長野は、オリジナルの表紙のような雪景色だろうか。既にスタッドレスタイヤに履き替え、車の準備は万端であるが、肝心のピンの準備はまだである。
 
昨日、TAXMAN'S BOOK のプレ・オーダーを発表したところ、多くの方から「買ってもいいよ!」とやさしいメールを沢山いただき、ありがとうございました。大変な励みになり来週の長野には、パイロット版を持参できるように頑張っています。表紙のイメージは、お決まりのこんな感じです。
2012年2月3日(金)
 開館7周年記念エッセイ⑧  ブライトリングと私                 misterwakuwakuさん(長野県)
 
 現在、私のピンコレクションで最優先に力を注いでいるのが時計ピンである。腕時計の形をした立体的で重厚感、存在感があるピンが好きである。

 私と時計ピンとの出会いは今から14年前の長野五輪終了から間もない頃、トレードで得た「ブライトリング」(BREITLING)という聞いたこともない時計メーカーの商標ピンだった。当時、時計には全く興味はなく、時計メーカーといえばセイコー・シチズン・スウォッチ・ロレックス・オメガくらいしか知らなかった。しかしこのブライトリングのピンをきっかけに時計ピンに興味を持ち次々とピンを入手、時計ピンは徐々に私の心を奪っていった。

 十数年の歳月を経てコレクションは2,000個を超え、ブライトリングのピンは60個を数えるようになり、私のコレクションの重要なポジションを占めるようになった。特に写真のクロノグラフ・シリーズは私のこだわりのコレクションのひとつだ。

 ピンには興味を持てても時計そのものには関心がなかった私であるが、ピンが縁で時計の素晴らしさにも気づき、数年前「清水の舞台」から飛び降りる気持ちでいわゆる高級時計というものを購入した。もちろんブライトリングの時計である。「スーパーオーシャン・ヘジテージ38」というこの時計、ピンとともに大変なお気に入りである。

 ピンに加え『いい時計』も手にしたことによって、私もようやく『真の時計ピンコレクター』になれたような気がする。これからもブライトリングをはじめとした『時計ピン・コレクション』は生涯の趣味として充実を図っていくことだろう。

 



























Breitling Superocean Hertage 38

さて、これで開館7周年記念エッセイの連載は終了です。素晴らしいエッセイを寄せていただいた8人の皆さん、ありがとうございました。また残念ながら選考に漏れた方々申し訳ございません。どの作品もピンに対する思いは熱く、私ごときが甲乙を付けるのはとんでもないことですが、SPピンの数に限りがあり止む無く今回の結果となりました。また7周年ということで7作品を選考する予定でしたが館長の分を一つ削って8作品を選ばせて頂きました。

ところで記念エッセイを掲載したTAXMAN'S BOOKですが、現在写真撮影と編集に鋭意努力をしていますがなにせ72ページのボリューム、思ったより時間がかかりそうです。それよりも館長の自己満足に過ぎないBOOKに「お金を出して買ってやろう」なんてお方がどれだけいるのか心配です。そこで一応プレ・オーダーを受付ます。BOOKの体裁は文庫本サイズ、72ページフルカラーで3,000円(予価)。プレオーダーにはMUSEUM特製ピンズが付属の予定。「買ってもいいよ」という奇特なお方は、こちらまでお願いします。

2012年2月2日(木)
 開館7周年記念エッセイ⑦  ピンズとの出会い、そしてこれから         pins-masterさん(東京都)

 ピンズとの出会いは2002年のFIFAワールドカップ。それまでの私にとって、
「ピンズ=空気のような存在」でした。「必要不可欠なもの」ではなくて「気に留めたことが一度もない」という意味です。しかし、集め始めるとその存在はあって当然のものとなりました。

 今回は2002年FIFAワールドカップピンの中でも入手に長い年月がかかった思い入れのピンズです。それは1999年12月5日に東京国際フォーラムで開催の2002FIFAワールドカップ予選抽選会ピンです。大会のハナを飾るピンズで、コレクターなら是非とも手に入れたいものです。しかしリリースはピンズを集める契機となった本大会に先立つこと2年半。抽選会出席者用の非売品で非常に流通量が少なく、2002年当時には既に入手不可能でした。ネットオークションでも高額で撃沈!それ以降はサッパリでした・・・。

 2003年になり、開館直後の「日本サッカーミュージアム」を見学した時のこと。半円状の受付カウンターがガラス張りで、ビッシリとピンズが飾ってあります。数多くある中、私はこのピンズを発見し目が釘付け!大の大人が長時間しゃがんでへばり付いている姿は・・・ともかく外見は気にしません。ダメ元で

 「これ譲ってもらえませんかね!」 (私)
 「・・・ダメだと思いますよ」 (お姉さま) と一応上司に内線電話・・・
 「どういうご用件でしょうか?」とJFAの方が登場。
主旨を説明し直談判も・・・玉砕!。

 その後は全く縁がなく、月日は流れに流れて2011年。ついに某インターネットオークションで発見。十把一絡げの出品で昔よりも注目度もグッと少なく、守備範囲内で落札できました。

 この様に何年かかっても入手できればまだいい方です。一生手にできないピンズも多いでしょう。これをある人は「キリがない」と言い、私は「奥が深い」とこたえます。同じピンコレクションへの見方なのに面白いですね。そう、これからもずっとポジティブにピンズと向き合っていきたいものですね!

 
2012年2月1日(水)
 開館7周年記念エッセイ⑥  いつか女神が・・・                       KOさん(長野県)

 
 このピンバッジは、いまだ私のコレクションにはなっていません。
このピンバッジを知ったのは14年前、友人に見せていただき、そのデザインに一目惚れしてしまいました。

 1998年長野でのオリンピックとパラリンピックの大会は、長野県に大変なピンバッジ騒動を巻き起こしました。当初私自身はこの騒動をあきれ顔で眺めていたものでした。ところが帰省していた子どもがパラリンピックの外国人役員から素敵なピンバッジをプレゼントされ、また私自身も福祉問題に関心があったこともあり、この大きなイベントの記念になればとパラリンピックのピンバッジ収集にとうとう手を出してしまったのです。

 その結果、大会終了後1ヵ月の間に100個を超えるピンをピンを集めていました。そのあと私にとっては「幻のピン」ともいうべき存在を知ったのです。それは野沢温泉で行われたパラリンピック・バイアスロン競技のピンで、大会関係者の少数だけに配布された貴重な物でした。大会の関係者や野沢温泉村、飯山市に知り合いもおり、いつでも簡単に手に入るものと安易に考えていましたが、そうではなかったのです。何度も現地に出向いて探したり色々な方に協力を求めましたが、入手することはできませんでした。その後もピンバッジ交換会があると聞けば地元長野だけでなく、東京・横浜にも出向き、フリーマーケットにも足繁く通いましたが、空振りばかりでした。

 このピンバッジを求めて、楽しくもあり険しくもありの14年ですが、手にできれば今までの思いから「最も思い出深く」「最もお気に入り」のピンになること間違いありません。
 いつかきっとピンバッジの女神が微笑んでくれることを心待ちにして、これからもこのバッジを求め行脚します。


 

この写真は長野のYさんからの
提供で掲載しています。
2012年1月31日(火) 
 開館7周年記念エッセイ⑤  MY BEST PINS                     Okeiさん(長野県) 

 私の「BEST PINS」はこのピンです。このピンは長野オリンピックの
「TEAM Coke」のピンですが、VIPだけに配られたとてもレアなピンです。

            

 私がピンのコレクションを始めた頃、まだ「マニア仲間」に入れず寂しく一人で行動していました。当然のことながらピンを集めたいけれど何を集めたらいいのか皆目分からない状態でした。そんな時一冊の本を手に入れました。それが「Pindemonium」です。この本に「TOP 98 PINS」が載っていましたので、これをバイブルにして片っ端から集めることにしました。

 「TEAM Coke」は人気でいうと15番目。ちなみに一番人気は「テレビ朝日のドラえもん」でした。「TOP 98 PINS」は始めて1,2年で殆ど集めることが出来ましたが、この「TEAM Coke」ピンだけはどうしても手に入りませんでした。結局手に入ったのはオリンピックから7,8年経過してからで相当な金額を使ってしまいました。一つのピンに使った金額としては一番の高額でした。「最後の1ピンだから、まあいいか!」と頑張っちゃいました。
 ピンがレアなこと、高額なこともさることながら、とても綺麗なピンで、私にとってピンコレの原点である長野オリンピックの最も思い出に残る「BEST PINS」です。


Pindemonium
2012年1月30日(月)
 開館7周年記念エッセイ④  私のピン史と自慢のピン                ryu-1-sanさん(東京都)
 

私のピンコレは大きく4つのステージに進化していっています。
そもそも私がピンバッジを集めるきっかけは、1979年、当時サッカー部に所属していたことから、XEROX FIFA World Youth Soccerを見に行ったことだったと記憶しています。その際にバッジというか、徽章を買ったのが最初でした。それは小さいながらも本七宝でできていて、とても高級感があったものです。それから、なんとなくバッジを集め始めるようになり、旅行に行ったときに買ったり、ハードロックカフェ、MONOショップに行って集めたりしていました。それでも自分で集めるのは限界があり、せいぜい100個くらいしか集まっていませんでした。実際に配布をもらったり、購入したりする、これが私のピンコレクションの第1ステージです。

 

2ステージがピントレーディングとの出会いです。誰もがはまったあの長野オリンピック!ニュースなどでピントレなるものの存在を知り、長野オリンピック観戦(スピードスケート、フリースタイルスキーエアリアル、アイスホッケー)のときにいくつかのピンバッジを持っていきました。そこで外国の方と片言の英語でピントレをしたのが始まりです。その後、ピンずる祭りに参加した事でいわゆるピン友もできました。これがピンコレを一気に広げたきっかけです。

 

そして、ちょうどその時位からでしょうか?Yahooオークションが流行り始めました。見たこともないピンがネット上にたくさんある!こんな手法もあることを知り一気にはまった、これが第3ステージです。

 

そして第4ステージはebayです。ネットも日本だけでなくグローバルへと広がり、
それにつれてピンも日本で販売、配布されたものから海外で販売、配布されているものを集めるようになりました。
集める手法はどんどん進化、そして、ピンバッジがリリースされるイベントも日韓ワールドカップサッカー、愛・地球博など増えてきたことでピンバッジ愛好家人口も増え、情報交換、ネットにおける出品数も増加、私のコレクションはいつの間にか10,000を超えました。

 

その中には多数の思い出に残るピンがありますが、今回は中でも一番のお気に入りピンを紹介いたします。"Louis Vuitton"のピン Yahooオークションで落としたのですが写真を見た瞬間「何としてでも落札する!」と決めておりました。実際ヴィトンオタクと競ってしまい本物の財布くらいなら軽く買える位まで競りあがってしまったのを記憶しております。実物が届いて改めて見てみると、立体的な作り、肩紐の部分は丁寧にペイントされており裏は勿論タイタック仕様、素晴らしいクオリティに感動しました。私の1万個を超えるコレクションにも、これほどのクオリティのピンは他にありません。また、このピンを、現物でもネットでも他の場で一度も見たことがありません。後悔しない買い物だったと思っております。

いつかまた、これを越えるお気に入りのピンに出会えたら・・・
そんな思いで今日もPCのモニターをスクロールしています。


 
 
開館7周年記念エッセイの紹介も前半の4人を終えました。4人の方々のピンに対する熱い思いがしっかりと伝わってきますね。ピンズ収集の極意というものはありませんが、好きなピンを自分の許容できる範囲内で無理せず、背伸びせずが長くコレクションを続けることができる秘訣なのでしょうか。4人の方々は自分のしっかりとしたポリシーを持ち、また得意な分野(ジャンル)があり、それぞれの分野では国内有数の権威であります。
 それでは後半の作品も引き続きお楽しみください。尚、作品の掲載順は館長の思い付きによるもので、作品の席次ではありません。
 右のピンはエッセイの優秀作品を投稿された方へのプレゼントのスペシャル・ピン。これまで紹介した写真はピンボケで色もはっきりしないとの声があったので、今日改めて紹介します。ゴールドのベースで、文字盤とベルトはブラウン色。余分は一切ないのでおねだりされても今回はダメ。自画自賛ではありますがかなりのいい出来に仕上がり、完成度も高いと思っています

 
2012年1月29日(日)
 開館7周年記念エッセイ③  私の自慢のピンバッジ                ねこぴんさん(東京都)


 小さい頃から収集癖があり、いろいろな物を集めました。いわゆる“バッジ”を集めるようになったのは、確かユースホステルの会員となり、友人と旅行するようになった高校生の頃だったと思います。旅行やイベントのお土産、参加記念品として同じ物を記念に残したい・・・。そこで目に留まったのが“バッジ”でした。ですからバッジコレクターとしてのキャリアは長い方だと思います。しかしお土産品とは異なる世界的イベントで企業がリリースするピンズ、またはレア物と呼ばれるピンズとの出会いはつい最近になってからなのです。

 長野五輪、2002年日韓W杯、そして愛地球博、いずれのピン争奪戦?も経験していない出遅れた感のある私にとって、自慢のできるピンは何だろう。そう考えると、やはりこれしかありません。
 私のハンドルネームの起源にもなっているご当地キティーピンです。初めて出会ったのは、大分のカボスキティー。2000年頃だったと思います。その後、名物やゆかりの人物をモチーフにしたピンバッジが全国にあることを知り、現地でなければ手に入らないという難易度にも魅かれ、完全にコレクター魂に火が付いてしまいました。デザイン性、良質度、希少性は、どれも極めて低いのですが、数の多さは集める者にとっては大変な魅力でした。またデザインは、名勝や名物とキティーのコラボが基本形ですが、着ぐるみバージョンンも多く、それがなかなか良いのです。

 全国のお土産屋さんに電話やメールをしたり、オークションで落札したり、キティーファンが集うサイトに頻繁にアクセスしたり。集まるピンをコルクボードに刺してはひとりでじっくり眺める日々。それは、それは楽しくて快感でした。(中年オヤジが、気持ち悪いですね・・・)
 全国のキティーファンの方の協力を経て、およそ600種ほぼコンプリートしています。そういえば協力者はすべて女性でした。思うに、恥ずかしくもご当地キティ―ピン所持、男性部門の日本一かもしれません。


 
2012年1月28日(土) 
 開館7周年記念エッセイ②  ピンズと『自分史』                   ピンズ広場さん(長野県) 
 
 ピンズとの出会いはある意味『自分史』でもあります。 
 今から23年前の平成元年、アメリカ西海岸・ハワイへ新婚旅行に行った時、初めてピンズを購入したのが「ピンズの自分史」の始まりです。旅行での立ち寄り先で、何かを土産にと思いショップをのぞいて目に留まったのがデザイン豊富で色鮮やかなピンズでした。価格が数百円と手頃だったこと、ピンズを見て一目でどこのものかわかること、何より小さいので嵩張らないことが決め手でした。「買ったピンズはTシャツに飾ればいいね」ということで、行く先々で二つ三つと買い求め(フィッシャーマンズワーフ、ゴールデンゲートブリッジ。ハリウッド、チャイニーズシアター、アナハイムのディズニーランド、ハワイ等々)、日本に帰る頃には数十個になりました。ただし留め具がバタフライクラッチはその頃は馴染みがなく、安全ピン型が多かったかな。
 そして決定的に自分の運命を変えたのは、やはり1998年の長野オリンピックです。長野のような地方都市で、オリンピックという国際的なビッグイベントが開催されること自体奇跡でもあり、その現場に立ち会うことができたことが大きかったと思います。ピンズを本格的に集めだしたのはオリンピック開催中からと遅い方でしたが、ピンズを手に入れる方法として、購入以外に交換トレードという方法を知ったのもこの頃。長野市内の街のあちこちでピントレが行われていたのはとても新鮮でした。
 その後は、2002年日韓サッカーワールドカップ、2005年愛知万博と相次いで国際的なイベントが開催され、多くのピンズに出会う機会に恵まれました。そして、もうひとつ忘れてならないのが、東京ピントレ・愛知万博ピンバッジ交換会でおなじみの数多くのピン友との出会いです。ピンズは私にとってのプライベートな部分の『自分史』なのです。



ピンズ広場さんの
オリジナル・ピンズ
2012年1月27日(金)

MUSEUM開館7周年記念として募集いたしましたエッセイには多数の方にご応募いただきありがとうございました。ご応募いただいた方の中から当館7周年記念委員会が、独自の視点で選考した作品を本日から発表させていただきます。ご応募いただいた方全員には、7周年記念ピンを無抽選で贈呈させていただきます。尚、『7周年記念BOOK』は多くの方々から大きな期待を頂いておりますが、プレッシャーに押しつぶされそうな気持ちになりながら現在製作を進めています。体裁は72ページ文庫本サイズの予定、詳細につきましては後日この場で発表いたします。
それでは第1作目は、大阪府のルート58さんの「私のBEST PINS」です。

 開館7周年記念エッセイ①  私のBEST PINS                       ルート58さん(大阪府)

 ピンを集めだしてから、かれこれ20年くらいになります。キャリアが長い分想い出あるピンは沢山ありますが、今回は私がここ最近出会った、皆さんが持っていなさそうな、存在すら知られていなさそうな稀少なピンを紹介します。

     「2010 APEC JAPAN 京都 POLICE 」ピン。

 2010年11月横浜でのAPEC(Asia Pacific Economic Cooperationアジア太平洋経済協力)首脳会議の前に、APEC財務大臣会合が京都で開催され、それを記念して警察関係者の一部に配られたものだそうです。
 この年、私は待望の2人目の出産をし、探しに探した待望のマイホームにも引越し、2010年と書いてあるだけでも、私たち家族にはなんとも記念になるピンだと思いました。
 
 そんな私の人生の大きな節目に出会ったピン、これが「私のBEST PINS」です。